コンタクトレンズの歴史|シティコンタクト-安心と信頼のコンタクトレンズ 専門店

コンタクトレンズの歴史

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コンタクトレンズの歴史は500年超え!?
用途別・種類別にくわえて、
国内外の発展の経緯も紹介

コンタクトレンズの歴史

コンタクトレンズの歴史は古く、約500年前に原理が発見されたとの説があります。加工技術や素材の発展によって進化していき、目に関するさまざまな悩みをケアできるアイテムとしてコンタクトレンズは活躍できるようになりました。どのような経緯で今のような形にたどり着いたのでしょうか。コンタクトレンズの歴史を今回まとめてみました。

コンタクトレンズの原理を発見したのはレオナルド・ダ・ヴィンチ!!?

コンタクトレンズの歴史にはさまざまな人物が登場します。教科書に載っている歴史上の人物も、コンタクトレンズの歴史に関係するのではないかといわれています。コンタクトレンズの発明につながるといわれる研究をした二人の偉人を紹介しましょう。

コンタクトレンズの原理を発見したのはレオナルド・ダ・ヴィンチ!!?

レオナルド・ダ・ヴィンチが
コンタクトレンズの原理を発見!?

『モナ・リザ』や『最後の晩餐』の絵画などで知られる、ルネサンス期の芸術家・発明家「レオナルド・ダ・ヴィンチ」がコンタクトレンズにつながる原理を1508年に発見したといわれています。球形のガラス容器の中に水を満たし、顔を浸して目を見開く実験をダ・ヴィンチは行いました。
そして景色が違って見える(角膜に対しての光学的作用が消失する)現象に気付いたのです。ダ・ヴィンチのこの発見がコンタクトレンズの発明につながったとする説が現在も語られています。

デカルトにもコンタクトレンズにまつわる逸話がある

哲学者の「ルネ・デカルト」も、コンタクトレンズにまつわる逸話を残しています。角膜に合わせて整形した薄いガラス板で先端を閉じた筒に水を満たし入れ、目をつけて角膜の光学系を変化させられる装置をデカルトは1636年に考案しました。「完全なる視力矯正法」として、自身の論文内でもこの装置を紹介しています。しかし望遠鏡の原理に近いのではないかと、デカルトの実験装置をコンタクトレンズの原理とするのに懐疑的な意見もあります。
デカルトの実験装置をもとにコンタクトレンズが考案された記録はなく、コンタクトレンズの発明者としていいかもはっきりはしていません。

コンタクトレンズの歴史を
「用途別」で解説

コンタクトレンズにはさまざまな使い方があります。用途の観点からコンタクトレンズの歴史を見ていきましょう。

視力矯正用のコンタクトレンズ

視力矯正用のコンタクトレンズ

視力矯正用のコンタクトレンズは、スイスの眼科医「オーゲン・フィック」が1887〜1888年 に製作したのがスタートだとされています。人間の目に装用できるレンズが石膏を使って製作できないかとフィックは考えました。石膏の型取りと装用をウサギの目で行う「型取り法」により、コンタクトレンズ製作をフィックは開始します。自身も近視であったため、製作したコンタクトレンズを自らの目にはめ込み、視力の矯正をフィックは試みました。しかし製作したのが「強角膜レンズ」と呼ばれる大きなコンタクトレンズだったため、つけ心地が悪く短時間で充血してしまったといいます。なおコンタクトレンズの名称は、型取り法についてフィックがまとめた本『Eine kontactbrille』の“kontactbrille”に由来します。

角膜保護としてのコンタクトレンズ

1823〜1827年に、イギリスの天文学者・発明家「サー・ジョン・フレデリック・ウイリアム・ハーシェル」がまぶたの病気(眼瞼疾患)から角膜を保護するために眼盃の使用を唱えました。そののち1887年に、角膜炎予防や角膜保護のための薄いガラス製眼盃が「ゼーミッシュ」によって製作されたことも歴史的なトピックとして語られています。

特殊眼への視力矯正を行うためのコンタクトレンズ

角膜の前方が突出する「円錐角膜」に対応したコンタクトレンズをフランスの「カルト」が1888年に発明しました。黒目部分だけを覆う小さな形状のコンタクトレンズをカルトが製作し、円錐角膜の患者に装用させたところ良好な視力を得られたといいます。しかし材料がガラスであったために、カルトによるコンタクトレンズには懐疑的な見方もあったようです。その後の「シュルツァー」や「ロンスタイン」など活躍により、円錐角膜でもコンタクトレンズによって視力矯正ができるようになりました。

コンタクトレンズの歴史を
「種類別」で解説

ハードやソフトなどの素材による分け方のほかにも、コンタクトレンズにはさまざまな種類があります。つづいてコンタクトレンズの種類別での歴史を解説しましょう。

プラスチック製コンタクトレンズの歴史

プラスチックが登場する1934年以前にも、ガラスを素材にしたコンタクトレンズがあるにはありました。しかし加工が難しかったため、ガラス素材によるコンタクトレンズはあまり普及しなかったといわれています。旋盤による切削加工ができるプラスチック素材「ポリメチルメタクリレート(PMMA)」の登場で、コンタクトレンズ産業の発展は一気に加速しました。

「ウイリアム・フェインブルーム」は、プラスチックとガラスの半合成による強角膜レンズを1937年に製作します。1940年には「オブリーグ」が、アクリル樹脂を素材とした型取り全プラスチックコンタクトレンズを開発。そして1948年には「ケルビン」が、プラスチック素材を使って角膜レンズを製作したことが海外の歴史的なトピックとして知られています。

視力矯正用のコンタクトレンズ

ハードコンタクトレンズの歴史

PMMA素材のハードコンタクトレンズは、酸素透過率が低い点が問題視されていました。そのためガス透過性素材「シリコンメタクリレート(silicone methacrylate)」が1971年に開発されて以降は、酸素透過性ハードコンタクトレンズ(RGPCL)の開発が盛んになりました。日本のコンタクトレンズメーカー・メニコンのほか、西ドイツやアメリカでも1970年代にRGPCLの開発が行われます。

1978年には、「セルロースアセテートブチレート(CAB)」で作られたハードコンタクトレンズが米国食品医薬品局(FDA)で承認されます。しかし形状安定性が劣り、素材も白濁したため評価が得られませんでした。そののち1980年代にはRGPCLの開発競争が激化し、酸素透過係数「Dk値」の高い素材を求める時代になります(「Dk戦争」の時代と、この時期を紹介している資料もあります)。そして1986年には、連続装用が可能なRGPCLとして世界で初めて「メニコンEX」が一般向けに販売され始めました。

ソフトコンタクトレンズの歴史

ソフトコンタクトレンズの歴史は1955年からスタートしたといわれています。チェコスロバキア国立高分子化学研究所の「リム」が、水を吸収して膨れる・弾力性にも優れる性質を持った親水性樹脂「ヒドロキシエチルメタクリレート(HEMA)」を開発したのが1955年です。その5年後の1960年には、「ビヒテルレ」(チェコスロバキア科学アカデミー高分子化学研究所教授)とリムのグループがHEMAを素材としたソフトコンタクトレンズを開発しました。1971年には、FDAによる認可を得られ、ソフトコンタクトレンズが世界で初めて発売されました。なお終日装用に当初は限られていましたが、1981年にはFDAによって連続装用も認められます。以降、水を含んでやわらかく、装用感や酸素透過性も良好なソフトコンタクトレンズは世界各国に普及していきました。

日本におけるコンタクトレンズの歴史

日本におけるコンタクトレンズの歴史

日本のコンタクトレンズの市場規模は、一般社団法人 日本コンタクトレンズ協会の調査によると、コンタクトレンズのみで2,824億円、ケア用品を合わせると3,128億円に上るといわれています(2022年時点)。 これはアメリカに次いで世界2位の数値です 。日本のコンタクトレンズの始まりとして、以下の2つの話が語られています。

メニコン創業者の田中恭一が日本で初めてコンタクトレンズの実用化に成功

連続装用が可能なRGPCLとして世界で初めて一般発売された「メニコンEX」をさきほど紹介しました。そのメーカーである「メニコン」の創業者名誉会長である田中恭一氏が、現在のハードコンタクトレンズとほぼ同じ形状のレンズを1951年2月8日に完成させたのを“始まり”とする説が1つ目です。メガネ店で働いていた田中氏は、日本には当時まだなかったコンタクトレンズの話をアメリカ軍将校夫人から聞きました。1950年に話を聞き、すべて独学でありながら3カ月でプロトタイプを完成させたといいます。前身である「日本コンタクトレンズ株式会社」を1957年7月に設立して以来、メニコンは現在も業界をリードしている存在といえるでしょう。

水谷豊が強角膜レンズの臨床的成功例を報告

もう1つは、眼科医の水谷豊氏の説です。当時名古屋大学の講師であった水谷氏は、PMMAでコンタクトレンズを製作し、円錐角膜の高校生の視力矯正を試みました。1947年に開始し、1950年に完成したコンタクトレンズを装用したところ、元々の視力が右0.02・左0.04だったのが右0.9・左0.4まで矯正できたといいます。1951年に行われた第120回名古屋眼科集談会にて、自ら製作したPMMA製強角膜レンズの臨床的な成功例を発表したのがもう1つの“始まり”といわれるようになりました。

2つのいずれにしても、日本におけるコンタクトレンズの歴史はスタートして70年を超えたことになります。製品の種類や機能だけでなく、買い方も今では多様化しました。たとえば「定額制」や「サブスクリプションモデル」による買い方が例として挙げられるでしょう。メニコンが2001年に登場させた、コンタクトレンズの定額制システム「メルスプラン」が一例です 。度数変化・破損・変形による交換が生じたにもかかわらず、従来であれば出費の問題から我慢して使い続けるユーザーがいました。そのような場面でも、費用を気にせずに新しいコンタクトレンズと交換できる買い方が実現しています。

まとめ

開発秘話から最新の買い方まで、コンタクトレンズの歴史を今回は紹介しました。さまざまな人の活躍により、ダ・ヴィンチによる原理の発見から500年以上経った今も、コンタクトレンズは進化を続けています。以前は合わないからと諦めていた人も、今のコンタクトレンズであればしっくりくるものがあるかもしれません。新商品情報などは、シティコンタクトのページや店舗でご確認ください。

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